ミャンマーを映す:インタビュー

 

 

 

Inevitability;必然性

目次

  •  6/18日「ドキュ・アッタン シアター#難民の日」
  •  組織に所属せず、フリーで活動するということ
  •  きっかけはたいしたあれじゃなかった
  •  倫理の話
  •  情報以上のもの
  •  自由。そして他人の靴を履くということ
  •  必然性

 

 

2023年6月18日、東京東中野4丁目Space&Cafeポレポレ坐。

イベント開始予定時刻18時30分の10分前には会場の受付に行列ができていた。その日開催された「ドキュ・アッタン シアター#難民の日」の参加者たちである。

「Docu Athan(ドキュ・アッタン)」は、2021年2月1日にミャンマーで勃発した軍事クーデターによって民主主義と自由を奪われたジャーナリストや活動者を応援し、ミャンマーの声(=アッタン)を届けるプロジェクト。ミャンマーで拘束された経験を持つジャーナリストの北角裕樹さんとドキュメンタリー作家の久保田徹さんが、ミャンマーの友人たちの苦境に対してできることが何かを考え、仲間と共に立ち上げた。

 この日は国連が制定した世界難民の日(6月20日)を記念し、ミャンマー人ジャーナリストと北角さん、久保田さんの映像作品が上映された。上映後は北角さんや久保田さんが登壇しミャンマーや活動について語るトークタイムも設けられた。

 

登壇した久保田さんは、「ありのまま、彼ら(ミャンマーの友人たち)が生きてる姿を撮ろう」という意識で臨んだと発言した。

 

「その中には必ず悲しみがあるから」

 

イベントに訪れたある大学生はミャンマー人ジャーナリストたちが作った映像作品を観て、彼らが置かれている状況に直面させられたと語った。そして久保田さんの映像を観て、自分にも何かできることはないかと考えた。上映された数々の映像とそれを体感させるイベントは、参加者の胸に重い衝撃と深い共感をもたらした。


写真:登壇する久保田さん(左)と北角さん(奥)

 

 

本稿では、「Docu Athan」立案者の一人であり本イベントの登壇者である、ドキュメンタリー(映像)作家の久保田徹さんに迫る。



久保田徹

 

慶應大学在学中の2014年よりミャンマー少数民族であるロヒンギャの取材を開始し、ドキュメンタリー制作を始める。在学中の代表作品に『Light up Rohingya』がある。2020年『東京リトルネロ』でギャラクシー賞、ATP奨励賞、貧困ジャーナリズム賞を受賞。2022年7月30日、ミャンマーでクーデター抗議デモを取材・撮影中に治安当局によって拘束。およそ3カ月半にわたる勾留を経て同年11月17日に釈放。その後ジャーナリストの北角裕樹氏とともにミャンマーの声を広げる「Docu Athan」を立案。映像を通し、当事者と視聴者をつなぐ活動を続ける。

 

 

組織に所属せず、フリーで活動するということ

 

大学で就職活動をしなかったという久保田さん。卒業後フリーとしてAl Jazeera EnglishやBBC、VICEなどでディレクターやカメラを担当。一度も組織に所属することなく映像畑を歩んできた。現在もNHK World など様々な方面でドキュメンタリーを制作しつつ、自身の制作活動に取り組んでいる。

 

アルジャジーラBBCでカメラを担当することがあったが、それは所属したわけではない。とくに就職活動とかもしたことがないですし、流れでやっていたら偶然今のようになっていったっていう感じで。」

 

基本的には撮影から編集まですべて自分で行う。それは映像制作を自分の裁量で行える自由がある一方、すべての責任を自分一人で負うことを意味している。フリーで活動する久保田さんにとって、「働く」「仕事」といった概念は一般的な会社員のそれとは違う。

 

「会社員の人とは根本的に働くということの考え方が異なっていて、どこからどこまでがその会社の仕事で、どこからどこまでが自分の趣味なのかわからないような感じです。」



きっかけはたいしたあれじゃなかった



最初にミャンマーに関心を持ったきっかけは、たいした理由からではなかったという。

高校在学中、大学のAO入試のために題材を探していた久保田さん。記憶はあいまいだが、偶然授業か教科書で扱ったミャンマー少数民族ロヒンギャ」について調べ始めたとこがこの世界とのファーストコンタクトだったそうだ。その時点では、本気でロヒンギャに関わろうという気持ちはなかったという。

しかし調べていくうちに興味を持つようになり、知ることの喜びを実感するようになっていた。

 

「 やっていくうちにどんどん自分のこれまでの世界がどれだけ狭かったかっていうのを実感できるっていうのは、それ自体が1個の喜びだったと思います。」

 

慶応大学に入学すると、サークルに入った。1年生のとき、活動の一環で日本に住むロヒンギャの人々にインタビューしに行くプロジェクトに参加した。そうしているうちにカメラを回すようになったのだという。ただし、その時点ではまだカメラを仕事にしようなどとは考えていなかった。

そして2、3年生のときに実際にミャンマーに行った。2016年、大学3年だったときのゴールデンウィーク。久保田さんはロヒンギャの人たちが閉じ込められている現地の収容区に行き、ドキュメンタリーを撮った。

 

「そこで想定していた以上のものが撮れてしまったので、これはきちんと制作して編集をして形にしないといけないっていう気持ちはその時点でありました。」

 

それを作品として形にし発表すると、周囲からの評価は想定外のものだった。映像制作をもう少し続けていった方がいいなと思うようになっていった、とカメラを持つようになった経緯を振り返る。

 

「その時点ぐらいからですね、考え始めたのは。それを撮ってしまったからっていう言い方の方が近いんですけど。」

 

 

倫理の話

 

「ここから先は倫理の話になるんですけどね。」

 

と語りはじめた久保田さん。

自分の興味や好奇心で取材をするということについて、そこには倫理が発生するのだと説明した。

 

はじめはロヒンギャについて興味・関心で取り組んでいたと思う、と自身について振り返る。しかしカメラを持ってミャンマー人や少数民族ロヒンギャと関わりを持つ中で、自分の興味関心だけで撮ることに対して疑問を抱くようになっていったという。

「初めは純粋な興味、関心だったと思うし、それで別になんも悪くないと思うんですけど、ただね、ここから先の話は倫理の話になるんですけどね。

やはりカメラを持ったり、人から話を聞いたりしてそれを相手の時間を使ってまた相手の少なからず、人生の中で最も柔らかい部分というか、トラウマとまで行かない場合もあるかもしれないけど、広い意味で言うトラウマを、 要はネタにしていくわけじゃないですか、仕事として。映像の場合はそれがより強烈に出るし。

それを果たして自分の興味関心であったりとか、そういう自己満足、自己実現の道具として使うっていうことは倫理的なのかっていう話になりますよね。だからその時点で大体人は気づくわけです。」

 

これはミャンマーや人権についてあつかう場合に限ったことではないそうだ。例えば日本の伝統芸能の職人をカメラに収める場合も、または誰かの話を聴いてインタビュー記事を書く際も同じように倫理が発生する。カメラに収める、記事に書くという行為は、人からなにかを受け取るということ。それをどのように扱っていくかを受け取った側の作家や記者は考え続けなければならない。

 

「つまり、相手を利用しちゃいけないっていう、ただそれだけのことであって、そこで倫理が発生して、 それはまた使命感とはまたまた別というかね、なんて言うんでしょうね。相手からちゃんと受け取ったものを、じゃあどういう風に使うというか、表現というか、発信するのが正しいのかっていうことに必ず直面することにはなると思います。」




情報以上のもの

 

久保田さんは、自身を映像作家(ドキュメンタリー作家)と呼び、ジャーナリストとは別物と考えている。例えばジャーナリストはスクープを追うことが社会の利益や公共性において重要であったりする。速報やスクープは社会が求める情報形態の一つだ。

しかし情報は速報性とスクープ性にのみ価値が置かれているわけではないと久保田さんは考える。より深く、広い視点から1つの情報を取り上げ理解を深めたり共感を得たりすることもまた情報の役割の一つだ。

 

「ジャーナリストの中にも色々いて、記者の中でも非常に様々な人がいる」と前置きした上で、久保田さん自身はジャーナリストという仕事には向いていないと語る。

 

「スクープを追いかける人には、 その人のやり方や倫理があって、僕自身はそういう仕事にはあまり関心がないし向いているとも思わない。僕はあくまで映像作家なので、もう少し時間をかけて色々情報以上のものを作っていかないといけない。」

 

実際に久保田さんがこれまでに制作した映像でスクープ性や情報として新しさがあるものはほとんどなかったという。例えば久保田さんは2016年に少数民族ロヒンギャの収容区に行きドキュメンタリーを作ったが、ロヒンギャの情報自体はその時点で既に認知されていた。ロヒンギャミャンマー政府に自国の少数民族として認められず、また隣国も彼らを受け入れず、そのため多くの人々が国境地帯に収容され難民として生きることを強いられている状況は世界的に知られていた。日本でも多少は報じられていた。しかしそのような状況を情報としてのみ伝えるのではなく、情報以上のものとして伝えることもできる。

そこに映像で表現することの意味がある、と映像作家という職について考察する。

 

「人間そのものとか、その存在そのものだったりとか、それをできるだけ追体験するようなものを作るっていうのに近いですね。」

 

純化した例として、久保田さんはアフリカで子供が5秒に1人死んでいるという現実について取り上げる。

その情報自体は多くの人が知ってるが、それに対して何かリアリティを持って考えたり、その痛みを感じたりすることなく生きていくことも私たちにはできる。しかしその現実に対して映像を用いて高いリアリティで迫れば、人は情報とはまた違った受け取り方をする。情報を単に情報として消費するのではなく、自分の身体や五感、感情をとおして体験することで視聴者をその現実に直面させるという。

 

「その情報が存在していることのリアリティを避けられないような形で、ある意味直面させるというか、追体験させるようなものを僕は作ることが役割だと考えている。映像は、そういう生理的なものだったりとか、身体的なものだったりとかいう媒体なので、 それを最大限やらないといけないと思っています。」



自由。そして他人の靴を履くということ



「できるだけ自由になりたいので、ドキュメンタリー映像を作っています」

 

Twitterの自己紹介欄の言葉。久保田さんにとって自由とは何なのか。ドキュメンタリー制作と自由の関係とは。

 

「そうですね、自由であるっていうことは1個テーマなのかなと思っていて、自分の中では。 1つ制作を重ねるごとに、1つずつ自由になっていく感覚というのはありまして」

 

ドキュメンタリーを作る中で少しずつ自由になっていくという感覚がある。この感覚をどう説明すべきなのかわからないと前置きをしつつ次のように説明する。

 

「簡単に言うと自分のこれまでの偏見だったりとか考え方だったりとか、かつての自分が壊れて新しい自分を作っていくみたいな作業になってくるんですね。そうすると視野が広がるっていうと簡単な言い方になるけど、それが自由になっていくっていう風に感じる。」

 

これは自身の生まれ育ちとも多少関係があるかもしれないと考察する。久保田さんは小学生のころから私立の学校に通っていた。同質な環境の中で育ち、息苦しさを感じてきた。周りにも似たような人間しかいない温室で育つと、そのうちその状況が息苦しいのかどうかすらわからなくなった、と当時を振り返る。

しかし、世界がそれほど狭くはないということはどこかで感じていたという。そんな中で映像と出会う。そして1つずつ自分が自由になっていく、あるいは自分が少しずつ良い存在になっていく感覚に導かれた。

 

ドキュメンタリー制作の過程で人にカメラを向けることで、またその中で人と向き合うことで、その人の視点や感覚、世界を知り、共感あるいは共鳴する。それによって例えば持っていた偏見やかつての自分が破壊され、新たに生まれ変わることで少しずつ変化していく。自由とはそういうプロセスのこと。



「誰かの目になろうという作業であると思うんですよ。ものによるかもしれないけど、その人 から見た世界とかっていうのは、どういう風に見えるか、どういう風に描けるかっていうことを考えるので。そうするとその他者の視点、 英語で言うと他人の靴を履くっていう言い方をするんですけど、”empathy”ですね。共感っていうのは、他人の靴を履こうとする作業、履く作業だと。誰かの目線に立つ、立ってものを考えるという作業なんで。ドキュメンタリーはそれを繰り返していくわけで。そうすると、他者の視点だったりとかがインストールされるわけです。ある程度は。

そうすると、自分の中にいくつもの人格ができていって、それがまた統合されていくような 繰り返しなので、そうするごとに自由になっていくような気はしている。」



必然性

 

 

ミャンマーで日本人が拘束|ARAB NEWS

 

 

2022年7月30日、ミャンマーでクーデター抗議デモを撮影中に治安当局によって拘束された久保田さん。およそ3カ月半にわたる勾留を経験した。

釈放後開かれた記者会見で「今後(活動を)どうしていくのか」という質問に対して久保田さんは次のように回答した。「映像制作についてはもちろん続けていくつもりですし、何かこう、自分の映像を活用して支援が行く届くような形を作りたいなとおもっています。」

 

元々危険地帯で貴重な取材をするというスタンスで活動したいたわけではないと語る久保田さん。2m×5mの牢獄に閉じ込められ、絶望と向かい合う日々を経験したあともミャンマーを撮り続けるのには理由があった。それは使命感とは異なる別の感覚からであるという。



「そういうのも必然性をどこまで感じるかっていうところで考えてしまっていて。元から別に危険な地方に行って貴重な取材をするというスタンスで やっていたことはないんですよね。ジャーナリストみたいなのとは全く雰囲気が違いまして。ことミャンマーに関しては、自分にとっては友人たちでもある話であって、それに対して、自分が撮るべきだなって思ったっていうのが1番なんですよね。うん、まあ、使命感っていう言葉にしちゃうと、なかなかあれなんですけど。必然性ですね。

だから、自分にしか撮れないものを撮らないとやはりやる意味がないなとも思うし。ただそれだけかもしれないですね。」

 

必然性。久保田さんがミャンマーを撮るのはすべて必然なのかもしれない。

息苦しさを感じていた幼少期。高校の授業で聞い少数民族の話。大学時代に入ったサークル。映像との出会い。ミャンマーで撮れたもの。そして人との出会い。

まるで導かれるように久保田さんはミャンマーに立ち続けるのかもしれない。それは危険を顧みずに命を懸け世界の平和を守るヒーローとは少し違うのかもしれない。しかし確かなことは、久保田さんにしか撮れない映像があり、映せない人々がいる。久保田さんだけが撮るべきして撮る世界がある。

 

「簡単に言うとやはり自分にしか撮れないものを、撮るべきだと思った。 

どんなものであれ自分にしか撮れないものってのは、絶対にあるから。」

 

 

 

参考資料

https://www.docuathan.com/

ミャンマーで日本人が拘束|ARAB NEWS

 

筆者:古波津優育